トップページ > 更新法話

当寺院では、月に一度皆様にわかりやすい法話、

人生の「深さ」と「幅」

掲載日: 記事No.52

先日、西本願寺 大谷光真前門主の著書「人生は価値ある一瞬」が出版されました。

大変わかりやすく仏の教えが説かれたものです。ご紹介させていただきますと共に本文からのお話しを要約し、皆様にご紹介させていただきます。

 

仏教学者の金子大栄先生は、「人生は長さじゃない。深さです。幅です。」という非常にセンスのよい、親しみやすい表現で、人生では何が大切かを表示されました。

「長さ」とは、もちろん長生きのことです。金子先生は、「人生は長さじゃない」と言っておられますが、何も長生きすることを否定されているわけではありません。それも大切なことですが、「幅」や「深さ」を持って生きるのが尊いのだとおっしゃっています。

人生の「幅」とは、色々なものを受け入れる柔軟性であり、お経の中に出てくる文言では「身心柔軟」にあたります。文字どおり、身も心も柔らかいという意味です。

こちらの身心が柔軟であれば、自分の考えと異なる意見や、新しい変化を受け止めることができます。しかし、身心がコンクリートの壁のように硬いと、異見や変化を受け止められず、ぶつけたボールのようにはね返してしまいます。つまり、視野が広がらず、自らの成長にもつながりません。

自分と対立する人の意見をどこまで理解できるか。自分の考えを曲げてまで賛同する必要はないとしても、相手の主張する内容をなるほどと理解し、自分は採用しないが、そういう考えもあるなと理解できる人間になれば、それによって視野が新たに広がり、成長する可能性も高まります。この「幅」の意味は、日本画の余白から来たとも言われます。一時代前までの日本画の掛け軸は、余白の広い絵が少なくありませんでした。塗りつぶしていない白いところは、中心の描かれている人間や、花などの主題を引き立たせる意味があるほか、その味わいを深める意味もあり、非常に大事な役目を果たします。

人生も、役に立つものだけで身の回りをぎっしり詰め込めばよいとはかぎりません。日本画の余白のように、一見何も用がないように見えるものが、人生の味わいを深めて、自分のこころを豊かにしてくれることもあります。それが、人生の「幅」です。

次の人生の「深さ」とは、自分のいのちの尊さを深く受け止めることを言います。自分の「いのち」は、遠い祖先から受け継いでいるかけがえのないものです。目に見える今のこの世だけではなく、目には見えない世界に支えられているのだと受け止められれば、人生に深まりが出てくるはずです。

何か辛いこと、苦しいこと、嫌なことがあると、誰それが悪いと他人のせいにしたり、自分の置かれた環境が悪いと周りのせいにするだけでは、一面だけの見方で終わってしまい、深みのある生き方はできません。自分のいのちをどう受け止めるか。自分の側の受け取るこころによって、人生は深まりが出てくるのです。

金子先生は仏教学者ですから、仏さまやお念仏のことを思っているかどうかが人生の深さだとおっしゃっています。若い人にすれば、仏さまと言われてもにわかに信じがたいでしょうが、小さいころに親や祖父母に連れられてお墓参りに行ったり、お坊さんの法話を聞いた経験のある人もおられると思います。

そのときに親や祖父母やお坊さんから聞かされた言葉が、年を重ねて人生体験を積むと、「ああ、こういうことだったのか」とむしょうに頷けることがあります。つまり、それが、人生の「深さ」になるのです。

 

「長さ」と「幅」と「深さ」を人生に持つこと。少し欲張りでしょうが、そんな人生を送ることができればと願います。

宗教法人真宗大谷派木田山 福田寺 〒490-1222 愛知県あま市木田小兵衛前69