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当寺院では、月に一度皆様にわかりやすい法話、

初心も是なり、後心も是なり。

掲載日: 記事No.59

初心しょしんなり、後心ごしんなり。」

今回は正月元旦の「修正会(その年の初めての法要)」で参詣の皆様にさせていただいたお話しを書かせていただきます。

 

これは中国、隋の時代の天台智顗てんだいちぎ(五三八-五九七)の説いた『魔訶止観まかしかん』という書物に書かれた「初心も大事だ。後心も大事だ」と言う言葉です。

意味する所は、仏道の修行では、最初の心構えも、最後の心構えも同じであり、違いはないという事です。つまり、いついかなるときも、修行でないことはないから、手を抜くようなことがあってはならない。仏道に一筋に心を傾け、寝ても醒めても精進しなければならないと説いています。

 

さらに、同じ天台智顗は『法華文句ほっけもんぐ』という書物で、次のようにあらわしています。

初心しょしん畢竟心ひっきょうしん まさかいの、せんしんの別あるべし。なお月体がったいしょともに円にして、しかさくぼうことなりあるが如し。」と。

つまり、初心のときはことに暗く浅いのに、熟練すると明るく深いという違いは歴然としている。しかしそれは、たとえてみれば、本来、円い月に初めと終わりがあり、闇夜と十五夜とがあるようなものあると・・・。

何か一つのことに習熟していく過程を振り返ってみるとよくわかりますね。最初は自分の可能性に胸ふくらませ生き生きとして取り組んだ気構えが、学習する過程で必ず困難な問題に出会います。この問題が達成された時、改めて自分の未熟さを思い知るというようなことは誰しも体験した事があるのではないでしょうか。

そうした意味で、上手は下手の手本であると同時に、下手は上手の手本であるとも言えます。

初心者は初心者の、熟練者は熟練者の、それぞれの場面、場面で綿密に工夫をしなければその道を成就することはできないという事です。

 

私たちの人生も同じで若いときも年老いた時もその年の「今」が大事であり、その「今」を無心に生き切る事が大切ではないでしょうか。

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