先月の中日新聞、「今週のことば」の欄に中村薫氏がわかりやすく次のようにこの言葉の意味を述べられております。
蓮如上人は、聞いた仏法を語り合うことを進められた。とにかく語りなさいといわれる。物をいわない人は、悪人であるといわれた。余り軽々しく話すのもよく ないが、自分の思いを語りなさいといわれる。今日のカウンセリングである。信心の問題も、信じられること信じられないことのどちらも語ることが大切であ る。分かったことはいうが、分からないことには触れないというのではなく、共々話せといわれる。
自分が語ることによって初めて、自分自身の心の奥が知らされる。また意見を言えば、他人から間違いを指摘される。人間は、とかく他人から意見されるのはいやである。だから黙ってしまう。蓮如上人は、自分の聞いた信心は、とにかくさらけ出して確認しなさいといわれる。
同じような言葉でキリスト教のマザー・テレサ女史は「無関心は罪である」と言われています。信心という事だけでなく、生きていく中で私に関係ないからと 無関心を決め込む人が今の日本では大勢見受けられます。しかし、本当に一人だけで生きていけるのでしょうか、両親、友人、隣人、同僚、そしてご先祖様た ち、大勢の人々のご縁で「生きている」、いや、「生かされている」このことを感謝し、懸命に生きていかなければならないと思います。
先日、なんでも鑑定団で皆さんよくご存知のおもちゃ博士、北原照久氏とお話しする機会がありました。おもちゃが大好きな少しおたくぽい人なのかと思っておりましたがまったく想像と違いました。
彼の人生の持論は「夢を熱く何回も語る」事であり、好きな言葉は坂村真民先生の「念ずれば花ひらく」とのことでした。坂村先生は当寺と深いご縁があるので すよと伝えますと「本当に坂村先生の言葉は素敵ですね。念という字は今の心と書きますよね。この心を持ち続ければ花は開くんですよね。僕は、だから叶うと いう字も口に十でなく、口に千とか、口に万とか書いて叶うと読ませるんですよ。」
北原さんの生い立ちをお聞きしますとテレビ画面のイメージとは違い、随分遠回りや失敗をされたとの事です。20分ほどの短い時間でしたが、おもちゃのこと は一言もなく、「生きるとは」「縁」「人生訓」「感謝」など宗教の実践を無意識でされているように強く感じました。横浜に出向かれた折は、是非、北原氏の おもちゃ博物館にお立ち寄り下さい。氏がお見えでしたらお声をかけて見られてはいかがでしょうか。きっと人生を熱く語って下さることと思います。