・春季永代経
掲載日: 記事No. 473
・彦根藩主も眺めた白と鶴亀 滋賀県彦根市・玄宮園
掲載日: 記事No. 472
中日新聞Web版の滋賀県で掲載された記事(https://www.chunichi.co.jp/article/1026866)に当寺由緒である滋賀県米原市にある福田寺が紹介されております。
皆様にお知らせいたします。ご興味がおありになるご門徒様は、是非お立ち寄りください。
凸凹の激しい石畳をあえぎながら上り、ふらつく足で慎重に橋を渡る。建築家藤森照信氏の「大名庭園は歩くためのいわば大名の運動場。大名は、いざとなったら戦う武士だから」(「日本建築集中講義」)という説明がすっと腑(ふ)に落ちてきた。
彦根藩中興の祖と呼ばれる4代藩主井伊直興(なおおき)の治世に、下屋敷「槻(けやき)御殿」の後園としてつくられた池泉(ちせん)回遊式の玄宮(げんきゅう)園。庭づくりの核となっているのは、ここでもやはり神仙世界を象徴する鶴と亀だ。
魚躍沼(ぎょやくしょう)と命名された池に架かる龍臥橋(りゅうがばし)の中ほどに置かれた亀島から、北の鶴鳴渚(かくめいなぎさ)と呼ばれる中島を眺める。鶴の長い首を思わせる巨石が正面に端然と据えられている。そのそばで水鳥がさかんに水中のえさをついばもうとする姿に興がわいてくる。鶴鳴渚の北側に回り、船遊びのための船小屋があったあたりから渚越しに彦根城を眺めると、天守の白さがいっそう目の前に迫ってくるように感じられた。
園内には、領内の五穀豊穣(ほうじょう)を祈って藩主自らが田植え神事をしたという水田が復元されている。水田の南側の道では、かつて馬の駆け競(くら)べをしていたといい、まつりごとの多様さがこの庭に凝縮されている感がある。
すでに隠居していた11代藩主直中(なおなか)の十四男として、槻御殿で生まれ、幼少期を過ごした13代藩主直弼(なおすけ)は、鳳翔台(ほうしょうだい)などこの庭にあった四つの茶屋すべてを用いて茶会を催したという。彦根市観光文化戦略部の三尾(みお)次郎さんは茶会の意図の一つに「家臣との価値観の共有」があったと言う。
幕末の大悪人という直弼のイメージを覆した功で彦根市の名誉市民となっている舟橋聖一の小説「花の生涯」に、直弼が著した「茶湯一会集」が引用されている。「幾度、おなじ主客と交会するとも、今日の会に、ふたたびかえらざる事を思えば、実に我が一世一度の会なり」「退出の挨拶終(おわ)れば…亭主は猶更(なおさら)のこと、客の見えざるまでも見送るなり」
戦国時代とはまた異なるであろう「一期一会」のとらえ方。そのこまやかな心配りが、この庭に息づいている。
大名庭園 江戸時代に大名が江戸屋敷や領地の城下町などに造営した庭。東京には、旧芝離宮庭園、浜離宮庭園、六義園などが残る。地方の城下町では、玄宮園のほか、兼六園(金沢市)、後楽園(岡山市)、栗林公園(高松市)などが名高い。主に大規模な池を中心にした回遊式庭園で、茶屋やあずまやを配置している。大名自らがくつろぐだけでなく、茶の湯などを催す社交の場や政治交渉の場としても用いられた。
中日新聞社は4月3、4の両日、玄宮園と滋賀県米原市の日本庭園計4カ所を巡る名古屋駅発着のバスツアー(https://chunichi-tour.co.jp/tour/2034.html)を行います。かつて蓮如聖人が滞在した福田(ふくでん)寺では、浄土真宗の教えを説いた国名勝の枯山水庭園を訪ねます。同じく国名勝の青岸(せいがん)寺では力強い石組みで枯滝を表現した枯山水庭園を見学。4月にしだれ桜が見頃を迎える徳源院では、縁側から癒やしの庭を眺めます。
・太子経のお勤め
掲載日: 記事No. 471
本日、2月22日は聖徳太子様のご命日にあたります。
9時より本堂で、日本に仏教を伝えられた聖徳太子様を偲んでの法要、太子会たいしえが勤まりました。
当寺には聖徳太子像が安置され、毎年2月22日の法要と3月30日の春季永代経に御開帳しております。
写真は、仏師 江里康慧先生の大変貴重な聖徳太子孝養像です。
参詣者には記念品をお渡ししました。小雪の中、御参詣いただきありがとうございました。
※聖徳太子様について西暦574~622年、用明天皇の皇子。名は厩戸うやまど皇子。豊聡耳とよとみみ皇子・上宮じょうぐう太子ともいう。叔母推古天皇の摂政として内政・外交に尽力。冠位十二階・憲法十七条を制定して集権的官僚国家の基礎をつくり、遣隋使を派遣して大陸文化の導入に努めた。また、「三経義疏さんぎょうぎしょ」を著し、法隆寺・四天王寺などを建立して仏教の興隆に尽くした。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
・涅槃会
掲載日: 記事No. 470
本日、午前9時より涅槃会の法要を勤めました。
2月15日は仏教をおひらきになったお釈迦様のご命日になります。
ご参詣の皆様に記念品をお渡ししました。
お釈迦様は、インドの沙羅双樹の花がきれいに咲いた森の中で臨終の時をお迎えになり、悲しみにくれる阿難尊者ら多くの弟子、あらゆる生きとし生けるものに向い、「自灯明」「法灯明」-【自らを灯として他を灯とすることなかれ。法を灯として他を灯とすることなかれ。自らの人生を自らが道を切り開き、正しく生きよ。】-のお言葉を残されました。これは、人に頼ることなく自分の力で真っ直ぐ生きていくのだというありがたい教えです。
写真は涅槃図「釈迦の涅槃すなわち入滅 (死) の情景を表わした図」と、沙羅双樹の花です。
2月22日、9時より太子経が勤まりますので、是非お出かけください。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
・元旦、修正会のお勤め
掲載日: 記事No. 469