今回は致知出版社、「小さな人生論」の中より「一念一行」のお話しをご紹介させていただきます。あわせて更新法話が遅くなり申し訳ありませんでした。
*「小さな人生論」より抜粋
平澤興氏(京大元総長・故人)よりこんな話を聞いたことがある。
野口英世が麻痺狂病原体を発見したときの話である。彼は麻痺狂の脳について、一万枚の顕微鏡標本を作った。二百枚を一組として五十組の標本である。これを二人の助手と片っぱしから、検査した。しかし、最後の一組になっても、めざす病原体は見つからなかった。
彼は二人の助手が昼のうちに検査したが無駄に終わったという最後の一組の標本を家に持ち帰り、夜を徹して検鏡した。そして、明け方になって、ついに九千九 百九十五枚目の標本に、探す病原体を見出した。その瞬間、野口英世はカッポレを踊り出し、見ていた妻は野口の気がふれたのではなかと思ったという。
一万枚の標本を仮に作っても、普通の人なら、五、六千も標本を見て、探すものがなければ、それであきらめてしまう。野口は文字どおり、最後まで一枚もゆるがせにせず、検査した。野口の一念一行のすさまじさを物語るエピソードである。
「一念一行」、一念を持ち、それを実現すべくひたすらに行じ続ける。別に、大きなことでなくていい。その持続は、人生に確かな花を咲かせてくれることは事実である。
一昨年の3人のノーベル賞を受賞された先生方ではありませんが、私たちの人生の中の中でも小さくともそれぞれの「一念一行」を持ちたいものです。