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仏教の日本伝来と聖徳太子の仏教信仰、奈良時代の鎮護国家の思想

掲載日: 記事No.29

2月22日は聖徳太子様のご命日になります。
仏教伝来に力を注がれた聖徳太子様の時代背景について今回は簡単にご説明いたします。
中国・朝鮮半島(百済)を経由して日本に仏教が伝来したのは、飛鳥時代の“538年(552年)”と考えられています。朝鮮半島の三国時代にあった百済 (くだら)という国の聖明王(せいめいおう)が、飛鳥時代にあったヤマト王朝(ヤマト王権)の欽明天皇(きんめいてんのう)に釈迦仏の金銅像や経論などを 贈ったというのが日本仏教の始まりです。
仏教信仰の是非を巡って、仏教を受け容れるべきとする『崇仏派』の蘇我稲目(そがのいなめ)・蘇我馬子(そがのうまこ)と、仏教を日本から排斥すべきとい う『排仏派』の物部尾輿(もののべのおこし)・物部守屋(もののべのもりや)が争いましたが、最終的に蘇我氏(と聖徳太子)が物部氏を滅ぼして、日本に仏 教信仰が根づいていく基盤が作られました。
厩戸皇子(うまやどのおうじ,聖徳太子)は、物部氏との戦いで神仏の四天王に戦勝祈願をしていたので、戦いに勝利した後に四天王への帰依・感謝の念を込め て摂津国難波に『四天王寺』を建立しました。蘇我馬子も神仏の加護に対する感謝の証として『飛鳥寺(法興寺)』を建立していますが、推古天皇・聖徳太子の 政治体制の下で仏教信仰は強く奨励されることになり『法隆寺(斑鳩寺)』をはじめとする由緒ある寺院が多く建立されました。
厩戸皇子(聖徳太子)は『法華経・維摩経・勝鬘経』の三つの経典の解説書である『三経義疏(さんきょうぎしょ)』を書いて仏教に帰依しており、『十七条憲 法(604年)』の第二条も『篤く三宝を敬へ 三宝とは仏・法・僧なり』となっていて、仏教には日本(朝廷)の国教的な位置づけが与えられることになりました。

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