日本理化学工業は、知的障害者雇用割合7割を超えるチョーク製造会社です。
「日本で一番大切にしたい会社」として書籍に紹介されたことで、一躍脚光を集めましたが、それまで50年にもわたって、社会に知られることもなく、コツコツと知的障害者雇用を続けてきました。
評論家の佐々木常夫氏は、次の様に執筆しています。
横浜市自閉症協会の副会長をしながら、自閉症である長男の働き場所を探ってきた私には、そのご苦労が痛いほどわかります。まさに奇跡というべき会社です。私はこれまでの人生を導かれるように生きてきました、というのは社長の大山泰弘さんの一言でした。この言葉に大山さんの本質があるような気がしたのです。実は大山さんは、はじめから知的障害者に理解のある方ではなかったそうです。
むしろ、無理解からくる偏見を持っていたという。1959年のある日、養護学校の先生が大山さんの会社を訪れ、生徒の就職を依頼されたときには、「そんなおかしな人を雇ってくれなんてとんでもないですよ。それは無理なご相談です」とおっしゃったそうだ。大山さんにとっては痛恨の思い出と話されました。
ところが、諦めもせず3度も訪れた先生の熱心な姿勢に心を打たれ、2週間限りという条件で、2人の少女の就業体験を受け入れることにした。ここから大山さんの時代が始まったそうです。
「人生は少しずつ動き出す!」知的障害者を持つ二人の少女は、一言も口を聞かず、無心で仕事に励んだのです。お昼休みのベルが鳴っても手を止めようとせず、「もうお昼休みだよ。」と肩をたたいてやっと気づくほどだった。2週間はあっという間に過ぎた。無事に二人を返さねば、と思っていた大山さんは、内心ほっとしたとおっしゃいました。
しかし一人の女性社員がやってきて、こう言った。「こんなに一生懸命やってくれているんだから、一人か二人だったらいいんじゃないですか。私たちが面倒を見ますから、あの子たちを雇ってあげてください。」戸惑う大山さんに、その社員は、「これは社員の総意です。」とせがった。「本当にいいの?」と念を押すと、「大丈夫ですよ。だんだん慣れてくるはずですから。」と、その社員は嬉しそうに笑顔で答えたそうです。
その笑顔に感銘した大山さんは、二人の少女を正式採用することに決める。もちろん、この時も本格的に障害者雇用をするつもりはなかった。
二人なら何とかなるという思いだった。ところがもう一つの出会いが、大山さんの人生に決定的な影響を及ぼすことになったそうです。
それは、とある方の法要で禅寺を訪れた時の事です。
ご祈祷が終わり、参詣者のために用意された食事の席で待っていると、たまたま隣の座布団にお寺のご住職が座られたそうです。何か話しかければ、と思った大山さんの口をついて出たのはこんな質問だった。「うちの工場には知的障害を持つ二人の少女が働いています。施設にいれば楽ができるのに、なぜ工場で働こうとするのでしょうか。」
これは大山さんがずっと考えていた疑問でした。
二人の少女は雨の日も、嵐の日も、満員電車に乗って通勤してくる。そして、単調な仕事に全身全霊で打ち込む。どうしても言うことを聞いてくれない時に、困り果てて、「施設に返すよ」と言うと泣いて嫌がる。それが不思議でならなかったのだ。ご住職はこう答えられたのです。
人間の幸せは、物やお金ではありません。人間の究極の幸せは次の四つです。
「人に愛されること」、「人に褒められること」、「人の役に立つこと」、「そして人から必要とされること」、愛されること以外の三つの幸せは、働くことによって得られます。障害を持つ人たちが働こうとするのは、本当の幸せを求める人間の証なのです。
このご住職の言葉に大山さんは思わず言葉を失ったと言います。そして、そんなことから現在の日本理化学工業は出発したのだそうです。
そして、健常者も障がい者も本当に「共に生きる」という日本理化学工業の様な取り組みを私たちの生活の中で、私たちが実践せねばと痛切に感じます。