今回は102歳で亡くなられた聖路加国際病院理事長、日野原重明先生が晩年、全国の小学校を訪問され「命」について次のように授業をされた内容を紹介させていただきます。
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僕はいま人生において最も大切だと思うことを、次の世代の人に伝えていく活動を続けているんです。僕の話を聞いた若い人たちが何かを感じ取ってくれて、僕たちの頭を乗り越えて前進してくれたらいいなと。
その1つとして僕は二年前から二週間に一回は小学校に出向いて、十歳の子どもを相手に四十五分間の授業をやっています。
最初に校歌を歌ってもらいます。前奏が始まると子どもたちの間に入って、僕がタクトを握るの。すると子どもたちは外から来た年配の先生が僕たちの歌を指揮してくれたというので、心が一体になるんですね。
僕が一貫してテ-マとしているのは命の尊さです。難しい問題だからなかなか分からないけれどもね。でも「自分が生きていると思っている人は手を挙げてごらん」と言ったら全員が挙げるんです。
「では命はどこにあるの」って質問すると、心臓に手を当てて「ここにあります」と答える子がいます。僕は聴診器を渡して隣同士で心臓の音を聞いてもらって話を続けるんです。
「心臓は確かに大切な臓器だけれども、これは頭や手足に血液を送るポンプであり、命ではない。命とは感じるもので、目には見えないんだ。君たちね。目には見えないけれども大切なものを考えてごらん。空気見えるの?酸素は?風が見えるの?でもその空気があるから僕たちは生きている。このように本当に大切なものは目には見えないんだよ」と。
それから僕が言うのは、
「命はなぜ目に見えないのか。それは命とは君たちが持っている時間だからなんだよ。死んでしまったら自分で使える時間もなくなってしまう。どうか一度しかない自分の時間、命をどのように使うかしっかり考えながら生きていってほしい。さらに言えば、その命を今度は自分以外の何かのために使うことを学んでほしい」ということです。
僕の授業を聞いた小学生からある時、手紙が届きましてね。そこには、「寿命という大きな空間の中に、自分の瞬間、瞬間をどう入れるかが私たちの仕事ですね」と書かれていたんです。10歳の子どもというのは、もう大人なんですよ。あらゆることをピ-ンと感じる感性を持っているんです。
僕自身のことを振り返っても、10歳の時におばあちゃんの死に接して、人間の死というものが分かりました。子どもたちに命の大切さを語り続けたいと思うのもそのためです。
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いかがですか。「命とは私たちが持っている時間である」という日野原先生の名言は、私が先生と初めてお会いしたのは先生が95歳位の頃だと思います。偶然、新幹線で一人のご老人と同席いたしました。すると、通路を歩く立派な方々が足を止め、隣のご老人に挨拶をされるので「このおじいさんは一体何者なんだと?」と思っていると先生から私に話しかけて下さりました。「いや、忙しくて叶わんよ。わしは95歳だけれどほらこの手帳もう3年先まで予定がびっしりなんだ。」と話しかけて下さいました。名古屋で降りて「あ、日野原先生だ!」と気づいた次第です。その後、名古屋にお出でになった折、2度、先生のご講演を拝聴しました。
講演の最後は必ず「私は100歳で立って1時間講演するけれど皆さんは椅子に座ってでしょう。皆さん、どうだい。さぁ、立って歌をうたいますよ。僕の大好きなふるさとを歌いましょう。」と、元気な先生のお姿を思い出しながら「命とは私たちが持っている時間である」という言葉に改めて幼・少年期の教育の大切さ、私たち大人の責任の重さを痛感するばかりです。