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当寺院では、月に一度皆様にわかりやすい法話、

横超(おうちょう)=横ざまに超える!

掲載日: 記事No.15

先日の春季永代経法要のおりの法話、黒田龍雄師のお話を紹介させていただきます。
人には誰しも迷妄があります。このことを仏教では五悪趣といいます。「地獄、餓鬼、畜生、人間、天人」がこの五悪趣にあたります。第一の「地獄」とは、貧欲・愚痴が渦巻く世であり、そこに生きるということは、地獄を作る作業の毎日であります。
「餓鬼」とは、取っても、取っても、それ以上に要求。貰っても、貰っても満足しないことです。
「畜生」とは、慙愧、恥を知らぬものは人では無いということです。「人間」とは、体中の穴という穴から汚いものを出し続ける不浄の生き物で、本音は、自分 さえ良ければよいと、自己中心的な考えでいるという存在です。そして、「天人」とは、幸せ、幸せと喜んでいる人のことを天人といいます。
それでは、人はこの「五悪趣」を如何に乗り越えるか、五つの苦しみから抜け出す方法をお話いたしましょう。 親鸞様の教えに正信偈があります。その中に 「横超(おうちょう)」という言葉があります。合理的な理論、順序や段階を無視して、すこし言葉は違うかも知れませんがおう揚に横をすり抜け、よこざまに 超えることです。他の宗教等は「竪超(じゅちょう)」といい、合理的に筋道をたてて問題解決を図ります。この点が真宗の教えとの違いです。
以前、新聞にお互い80歳を越えた老夫婦がいました。お婆さんが倒れ、お爺さんが一生懸命看病しました。しかしお爺さんも体がいうことを利かなくなって、 将来を悲観し、無理心中した、との記事を読みました。誰も「まさか」殺人を犯そうとも思っていまいせん。しかし、そうならないのが人としてのもって生まれ た「業(ごう)」というものなのです。 こうしたことは「竪超」の考えでは追付かない、自分の力や人間の智恵では超えることができない時、「横超」の教え が生きてきます。それは自分の力では無く、南無阿弥陀仏の力でそれを超えることができる。
南無阿弥陀仏はインド語の言葉です。簡単に意味を訳しますと、南無は「目を覚ませ!」、阿弥陀仏は「このままで良かったか」と言う意味です。
私の家内は30年前、癌の手術をしました。中村日赤病院に入院いたしました時、「あなた歎異抄を持って来てください」と言いました。私は歎異抄と解説書を 5冊持って行きました。明治に生まれ早逝した僧侶、清沢満之師の言葉に「天命に安んじて人事を尽くす」と言う名言があります。人はそれぞれにどのように 願ってもどうしても変えることのできない天命というものがあります。これは一人ひとりが、それぞれの「命を貰う」という運命を与えられたのです。支えら れ、育まれている命である限り、最善を尽くそうという「願い」でもあります。家内は今でも元気に暮らしていますが「他力本願」は、この支えのはたらきに目 を覚ましてほしいという真実の問い掛けで、南無阿弥陀仏の智恵を如来様からいただいたお陰と感謝して暮らしております。

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