先日、ある雑誌に紹介されたドイツの作家ステファノ・フォン・ローが書いた『小さな「っ」が消えた日』という本をアマゾンで購入いたしました。私はネットでの購入が苦手なので寺の職員のK君に頼みました。本当に便利ですね、数日で届き何度か読み返しました。内容は以下の通りです。
これは「五十音村」の住人たちの物語です。
‐‐‐文字にも、人間や動物と同様に魂があり、世の中にあるもの全てに魂が宿っている。五十音の文字も例外ではなく、魂があるから、それぞれに性格も違っている・・・・・。
たとえば「あ」は自慢好きのおじさん。あいうえお順でも、アルファベットでも、一番初めにくる、つまり俺が一番偉い。
「は」と「ほ」と「ひ」と「へ」と「ふ」という字は、笑うことがみんな好き、明るくて人気のある五人組。
「か」は自信があまりなく、哲学者みたいに何でも疑う性格。「やろうか?やめておこうか?」と、あれこれ悩んで優柔不断・・・・など、五十音の性格を表現していますが、この物語の主人公『小さい「っ」は口がきけない。聞くことは出来るけど、一言も話せないのです。音が出ない「っ」は、自分が、五十音の中で大切ではないと思い村から消えていきました。
「っ」が消えると、「はっきり」は「はきり」に、「行った」は「痛」、「失態をさらす」は「死体をさらす」。「訴えますか」は「歌えますか」。
町中、小さい「っ」がいなくなると、誤解やイライラで大変なことになりました。そこで、日本中の新聞やテレビに広告を出しました。
『小さい「っ」へのメッセージ』
私たちは君のことを、取るに足りない存在と言いました。音を表さないから文字としての資格がないとも言いました。しかし、間違っていました。
君は音を出さないけど、沈黙という瞬間を作ります。沈黙がなければ音はただの雑音です。沈黙を作り出せる君は誰にも負けない大きな役割になっています。
この物語は文字の話だけではありません。社会的に弱い人や幼い子どもたちは、自分の心を上手に言葉に出来ません。しかし、周りの全てを聞いています。
弱い人や子どもたちは「っ」と同じように大切な存在です。黙っている弱い人も、後に隠れている子どもたちも、みんな仏さまの子どもです。原発再開、安保法制などの法案が先日国会で可決されました。
その是非は時代が答えを出してくれる事でしょう。しかし、声なき声、沈黙の祈りを、我々は「今こそ」、しっかりと耳を澄まして聞き取らればならないと切に感じています。