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葬 儀 -生死を共に超える-

掲載日: 記事No.24

最近は家族葬、直葬、散骨などがテレビに取り上げられ、いろいろな葬儀のあり方が紹介されるようになってまいりました。
今回は、この「死」と「葬儀」について真宗門徒はどのように向き合うものかという事について書かせていただきます。
「死」、死は必ず訪れるものと知りながらも、これほどつらく悲しい現実はありません。私たちはその深い嘆きの中でしめやかに葬儀を営んでまいりました。
葬儀とは、不思議なご縁に結ばれた人とのお別れの儀式であり、「ご苦労さまでした」と心から頭を下げ、その方の死をご縁として、「生まれた意義」と「いの ちの尊さ」に目覚めよという如来のみ教えに私たちが出遇うことであります。それこそが亡き人の無言の願いではないでしょうか。
『生のみが我等にあらず、死もまた我等なり』と示されるように、生死を共に超える浄土の道を教えていただくご縁となる、それが私ども真宗の門徒の「葬儀」であります。
『歎異抄』 の中に
「なごりおしく思えども、娑婆の縁つきて、力なくして終るときに、彼の土へはまいるべきなり」
とありますように亡くなった方は、ただちに、お浄土に生まれ仏となられて、迷っている私たちに、「人間として充分に生ききってほしい」と、願いをかけられているのです。

※真宗の葬儀では清めの塩を使いません。
清めの塩を使う風習は、「死(者)が穢れている」という俗信から生まれた風習であり、葬儀本来の意味を見失うものであります。
私ども真宗門徒は葬儀での清め塩は使いません。

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