今回はないおん誌に掲載された龍谷大学非常勤講師、小池秀章先生のお話し「親子の年齢は同じ」を引用して書かせていただきます。
皆さん、「親子の年齢は同じ」と聞いて、どのように思いますか?「そんなはずはない。親の年齢の方が上に決まっている。」と思う人もいると思います。しかし、「親子の年齢は同じ」という見方も出来るのです。
親はいつ親になったのでしょう。大人になったからといって親になるのではありません。結婚したからといって親になるのでもありません。
子どもを授かった時、はじめて親になるのです。つまり、親は子どもによって親になるのです。子どもが3歳の時、親も親としての年齢が3歳なのです。
NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」(2022年2月1日放送)で父・大月錠一郎が、娘・ひなたのことで悩んでいる妻・るいに、「ひなたは十歳や。僕は十歳のお父さん。るいは十歳のお母さん。一緒に大きくなってったらいいねん。」と声をかける場面がありました。
また、前回のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」(2022年6月2日放送)でも、主人公暢子の姉・良子が、「うち、母親になれるかな?、正直この子をうまく育てられるか自信がない。」と、母に不安な心を打ち明けます。すると、母・優子は、「お母ちゃんも同じだった。大丈夫。子どもが母親にしてくれるから。」と答えました。完成された親が、未完成な子どもを育てているのではありません。子どもが親によって育てられるように、親も子どもによって育てられているのです。親も子どもも、共に未完成な存在であり、共に育て育てられている関係なのです。
このように、お互いがお互いを成り立たせている、すべてのものは繋がりあい支え合っているということを、仏教では、「縁起(よって起こっている)」という言葉で表します。
縁起は、「これ有るときかれ有り、これ生ずるよりかれ生じ、これ無きときかれ無く、これ滅するよりかれ滅す」とあります。まるで禅の問答の様ですが、AとBがあって、関わり合っているのではなく、関わり合いの中で、AとBが存在するのです。
親子で言えば、親という人間と、子どもという人間がいて、親子で関わり合っているのではなく、関わり合いの中で、親であり、子どもなのだと言うことです。
親の虐待の報道がされる度に、私たちがいただいた不思議な親子の縁を忘れず大切に親子共に育っていっていただきたいと切に願います。