親を持つお子さんなら誰でも経験のあることと思います。「ぼくの命は自分のものだから、私の命は私のものだから、お父さんお母さんには関係ないでしょ!」
反抗期には得てしてこんな言葉が発せられますね。
「命」は父と母をご縁としていただいたものです。しかし、人はいつの間にか「与えられた命」を「自分の命」と思い込み、「命」を自分の所有物にしているのではないでしょうか。
今、生きている「命」は太陽の光、水の恵、空気や大地の支え、そして無数の動植物の「命」をいただき、そうした無数の不思議な働きに支えられています。
真実の目を失い、逆さまの考えを持つことを仏教では顛倒(てんどう)といいます。
親鸞聖人は「妄想顛倒(もうそうてんどう)」という言葉を残されています。人の苦しみを生み出している原因は「妄想=思い込み」や「顛倒=思い違い」にあるとおっしゃいます。こうしたことに気づかず「自我」を中心に持つから悩むのですと。
「自我を生きる」ものから、「命」はいただいているものだと今一度思いおこされてはいかがでしょうか。
きっと違った生き方が皆様に拓けてくることと思います。
顛 倒(てんどう) - 命はいただきもの -
掲載日: 記事No.35