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当寺院では、月に一度皆様にわかりやすい法話、

「蓮の花 開かんとして 茎動く」   滝沢伊代次 作 ※ 蓮の花の花言葉は「清らかな心」です

掲載日: 記事No.17

お盆も近くなり、皆様も墓参に出かけられる事と思います。今回は仏教に縁が多い「蓮の花」についてお話しさせていただきます。

さて、寺院には蓮や蓮の画がよく見られます。在家の方も、お内仏を注意して見て頂くと、ご本尊が蓮台(れんだい)の上に立っておられることに気づかれると思います。また、墓地の墓石にも蓮台が設けられていたり、蓮の模様が刻まれているものが多くあります。
仏教と「蓮の花」の深いつながりはこんな事から由来しています。古来、インドでは、「蓮の花」はこの世でもっとも美しい花として珍重されてきました。「お 経」の中にも、美しい花と香りによって浄土を荘厳する色とりどりの「蓮の花」が登場します。、『法華経』というお経は、お経そのものが「蓮の花」の名前を 意味しています。この『法華経』の原典は、サンスクリット語(梵語)で、「サッド・ダルマ・プンダリーカ・スートラ」 (sad-dharma-pundarika-sutra) といいます。「サッド・ダルマ」とは正しい法、「プンダリーカ」とはインドにある「蓮の花」の一種のことです。
「蓮の花」はまた仏様のシンボルとも見なされています。凛とした美しさを誇る蓮の花は汚れた泥水の中から生まれ、しかもその汚れに染まることがありませ ん。そのような特質がインドの人々を魅了したのです。煩悩が渦巻く汚れた世間の中で、汚れに染まらない仏の願いが「蓮の花」のイメージに重ねられたので す。
また、『維摩経』というお経には、「高原の陸地には蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥にすなわち此の華を生ずるが如し。」と説かれています。仏様の世界とは、煩悩 のない境地と皆様、思いがちです、。しかし、『維摩経』はそのような考えを否定しているんです。逆に、煩いや悩み、苦しみが尽きず、矛盾に満ちた私たちの 生活の中にこそ、仏教の深い願いに触れ、仏教の真理に目覚めていく道があると説かれています。少し難しい言い方かも知れませんが、「自分自身の煩悩を見つ める目が深ければ深いほど、他者の悩みや苦しみに共感する心が動き出すのです。」 我々は「蓮の花」に泥水のような人間界でも「凛」として生きていきたい という「願いと希望」をその心の奥底に誰もが秘めているのではないのでしょうか。

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