今回は、ないおん新聞「親子で学ぶ仏教教室 ひろさちや先生」から一部抜粋して達磨大師とその弟子、慧可(えか)の問答を紹介させていただきます。
菩提達磨(ぼだいだるま)は6世紀の人で、はるばるインドから中国に禅を伝えました。したがって、中国の禅宗の初祖とされています。
そして、達磨の禅を継承して禅宗第二祖となったのが慧可(えか)というお弟子さんです。
あるとき、この弟子、慧可が師の達磨に言いました。
「弟子は心未だ安らず。乞う、師よ、安心せしめよ」(弟子のわたしはまだ心が不安です。どうか師よ、わたしを安心させてください)
そうすると達磨はこう言います。
「心を将ち来れ、汝が為めに安んぜん」(それなら、心を持っておいで。おまえさんのために安心させてあげよう)
「心を覓(もと)むるに了(つい)に不可得なり」(その心をさがしてみましたが、どうしても見つかりません)
「汝が為めに安心し竟(おわ)んぬ」(おまえさんのために安心させてあげたよ)
お分かりになりますね。「不安な心をここに持っておいで」と言われても、いま現在はそんな不安の心はないのです。不安がないのであれば、それはまさに安心です。達磨はそう言っているのです。
そういえば、わたしたちはしょっちゅう不安に怯えていますね。会社をリストラされるのではないかといった不安。病気になったら。年を取ってよぼよぼになったら。「どうすれば」「どうしようか」といった心配など。不安の種はいくらでもあります。
でもね、ちょっと考えてみてください。会社をリストラになるのではないかといった不安も、あるいは会社が倒産するのではないかといった不安も、いま現在 はどこにもそういった不安は存在しないのです。そうなるのは、遠いか近いかはわかりませんが、将来のことです。その将来の不安に、あなたはいま怯えている のです。
「馬鹿げている!」というのが、達磨の意見です。いま、不安に怯(おびえる)必要はちっともありません。わたしたちは、その不安が現実になったとき、その現実にしっかりと立ち向かえばいいのです。
たとえば、病気になったとき、その病気にしっかりと立ち向いなさい。リストラされたとき、しっかりと失業者として生きなさい。
いかなる現実であっても、その現実にしっかりと直面して生きる覚悟さえあれば、なにも不安に怯える必要はないはずです。不安に怯えているのは、現実がやってくる前に、もうすでにいまからその現実から逃げようとしているのです。
それが、この達磨の言いたかったことだと思います。
-「現実にしっかりと立ち向かえる人間作り」-
福田寺ではこの事を念頭におき、関連する木田幼稚園で宗教を基盤とした教育を行っております。