ゴリラは猛獣です。トラやライオンと同様に恐ろしい動物です。
そのゴリラの檻(おり)に毎朝、自分の指を一本、そっと指し入れるベテラン飼育係がいました。するとゴリラは、その指をそっと噛みます。いわゆる甘(あま)噛(か)みをするのです。これはベテランならばこそ、できる名人芸です。
ところがある日、彼はむしゃくしゃしていました。もちろん、ゴリラに対してではありません。何か他のことで、不機嫌になっていました。
そして、その気分のまま、彼はゴリラの檻に指を入れたのです。
するとゴリラは、その指をパクリと食べてしまいました。
つまりゴリラは、飼育係の立腹を、自分に対する攻撃と受け取ったわけです。そして、その攻撃に対する怯(おび)えから、飼育係の指を噛み切ったわけです。
この話は、幸田文(あや)著『動物のぞき』にでてきました。幸田文は、幸田露伴の娘です。
ドイツの詩人のゲーテは、「不機嫌ほど大きな罪はない」と言っています。確かにその通りです。職場においても、家庭においても、誰かが不機嫌でいると、 その気分はたちまち伝染し、みんなが不愉快になります。お母さんが不機嫌だと、子どもが怯えてしまいます。お父さんが不機嫌で仏頂面をして家に帰って来る と、たちまち家の空気が冷たくなります。
不機嫌でいるお母さんは、「わたしは、なにも子ども相手に腹を立てているのではない。別のことで、むしゃくしゃしているのだ。」と言いたいのでしょう が、ゴリラがそうであったように、子どもにすれば、お母さんの不機嫌は自分に対する攻撃と感じられるのです。そして怯えているのです。
仏教においては、怒りというものを、「瞋恚(しんに)」と呼んで、貪欲(どんよく)(むさぼり)と愚痴(ぐち)(おろかさ)とともに三大煩悩の一つにしています。
もちろん、怒りのうちには、理不尽な怒りもあれば正当な怒りもあります。仏教は、なぜ正当な怒りまでも煩悩にするのでしょうか。その理由は、ゴリラの話 で分かると思います。怒ることは、いくら別の人に向けられたものであっても、周囲の人を不愉快にさせるからです。不機嫌は伝染しやすいものであることを忘 れないで下さい。
だからわれわれは、できるだけ早く不機嫌の状態を脱して、周囲を明るくする笑顔を取り戻したいものです。みなさん、可愛らしい赤ん坊の笑顔を思い出してください。あれこそ、周りの人々の気持ちを明るくする「布施の笑顔」です。
それぞれ一人ひとりが笑顔を浮かべること、それが大切な、誰にでもできる仏道修行になるのです。
*月刊新聞「ないおん」
―お母さんのための仏教教室― ひろさちや先生 より