先日、こんな文章を目にしましたのでご紹介いたします。私が所属する大谷保育協会、仙台支部の認定こども園双葉幼稚園の今西界雄先生の一文です。
私の娘から、大学の卒業旅行で中東のとある国へ旅行した時の話を聞いて、大笑いした事がある。
入国審査を受けるところからその事件は始まった。私の知っている限り、どこの国へ行っても、列に並び順番を待って入国審査を受けるのであるが、その国はちょっと事情が異なっていた様である。順番などお構いなく、とにかくわれ先にと列に割り込み平然としているので、娘は少し面食らった様であるが、何とか入国することはできた。
ところが、お手洗いの順番を待っていた時、同じように次から次に順番を無視して割り込んでくるので、さすがに娘もこれにはたまらず、「このままでは一生トイレに入れない」と感じ、相手に負けじと必死の思いでトイレを獲得したそうである。「その国では、並んで順番を待つという常識的な考えはないそうだ」と娘は言っていた。
日本では、ちょっと考えられない光景であるが、日本では当たり前の事でも、世界に出てみれば日本の常識が通用しない事はいくらでもある。日常の保育の中で子ども達に約束事や決まり事を教えながら、集団生活に慣れ親しみ、友達関係も円滑にいくように指導しているが、しかし大人になって幼いころから身に着けた正さや常識が間に合わない状況に遭遇するという現実がある。確かに限られた状況の中では間に合っても、様々な価値観や正さを持った人々と出会っていった時のために、TPOに応じた対応力を身に着けることも大切なのである。
その対応力は、「ごめんなさい」と言ったら「許してあげる」といった定型的なものではなく、「謝っても許してもらえないこともある」、このことをどう乗り越えていくかという体験を通して、より広がりを持った対応力が倍われていくのである。
正しさも固執しすぎると争いのもとにもなる。そもそも争いは、正しさのぶつかり合いである場合が多いので、相手の正しさを理解してあげようとする気持ちもいっしょに育てたいものである。
如何でしょうか。2000万人の外国人観光者を誘致目標とする安倍首相の「観光立国」、或いは今後導入されるかもしれない難民・移民受け入れ問題など、次の世代の子どもたちが正に相対する場面ではないでしょうか。
また、少し問題が違うかもしれませんが、神奈川県での重度障害者19名を刺殺するといった痛ましい事件、誤った正しさ・自己中心の正しさが絶対に育たぬよう「自分も大事、人も大事」に生きていく事を特に家庭教育の中で育てて頂きたいと切に願っています。