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お彼岸(ひがん)のこころ

掲載日: 記事No.37

みなさんはお彼岸をどのように過ごされていますか?
お彼岸の時期には、全国で多くの人々がお寺やお墓にお参りをされます。また、この時期にはお寺で永代経法要が勤められるところもあります。こうした仏事は、私たちの父母、祖父母とさかのぼり、代々伝えられてきました。
「お彼岸」ということばは、私たちの生きている世界を「此(こ)の岸」というのに対して、「彼(か)の岸」、つまり阿弥陀のさとりの世界である浄土を意味 します。お彼岸とは、此岸に生きる私たちが、生死という迷いの世界から浄土のさとりの岸に至ることを願う仏事なのです。このお彼岸の考えは、悩みや苦しみ のない浄土に生まれたいと願わずにいられない、私たち人間の奥底から生まれてきたといえます。
私どもの浄土真宗では、亡くなられた方を諸仏といただいています。私たちは亡き人を偲ぶことを通して、亡き人が身をもって示してくださった、生老病死の身 を生きているという事実に立ち返らされます。そして生老病死を受け止めることができず、悩み苦しむ煩悩の身を生きていることを教えられます。だからこそ私 たちは、亡き人を諸仏と仰ぐのです。親鸞聖人は、諸仏をとおして仏陀の教えをお念仏、「南無阿弥陀仏」といただかれ、私たちに伝えて下さっています。
浄土真宗において、お彼岸にお寺やお墓にお参りすることは、諸仏と仰ぐ「亡き人からかけられた願」いを、身をもって聞く場をいただくことなのです。永代経 も、仏陀の教え(お経)を我が身に聞き開き、永きにわたって子孫に伝えていくことが願われています。その聞法の場がお寺であり、家庭のお内仏なのです。
お彼岸をお迎えするにあたり、私どもに先立って歩んでくださった人をとおして念仏の教えに耳をかたむけたいものです。

*トピックス
お彼岸に「ぼたもち」
「暑さ寒さも彼岸まで」と昔から言われるように、お彼岸は春と秋のちょうど季節の変
わり目にあたります。春には豊作を願い、秋には収穫を感謝して、お内仏にはもちが供えられたといわれます。春は「ぼたん」が咲くころなので「ぼたもち」を、秋は「はぎ」の花が咲くころなので「おはぎ」と呼ばれてきたようです。

出典は東本願寺出版部「お彼岸」より

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