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人生の四季を生きる

掲載日: 記事No.32

激動の一年も今日、残り一日となりました。
二十年ほど前、私の師匠が西本願寺の大きな大会で作家の五木寛之氏をお招きし、講演いただいたお話が最近、特に思い出されます。

その五木さんのお話はこんな内容です。
地球が一公転する毎に季節の「四季」は巡る。何度でも巡ってくる。しかし、青春、朱夏(しゅか)、白秋、玄冬(げんとう)と人生の四季は一度だけしかない。そして、人は皆、いずれかの季節を生きている。
若くして逝き、白秋、玄冬を見ずに終わる人生もある。かつて吉田松陰は、人は十歳で死んでも、その人なりの人生を生きているのだといっています。二十九歳で生涯を終えた松蔭自身が、まさに人生の四季を堪能して旅立ったからでしょう。
人は生まれ、成長し、老いて死ぬ。「厳然」たる事実です。この事実を事実として受け止め、そのすべての季節をどう生ききるか、各自の心の工夫が問われるのだ、いった内容だったと覚えています。
未曾有の災害、東日本大震災で亡くなられ多くの人々を思いますとこの話が強く思い出されます。ご縁があり、宮城県の救助を担当されました名古屋市守山区の 陸上自衛隊、管野連隊長のお話を聞きますと幼いお子のご遺体を運び出すときの隊員の言いようもないつらい気持ちは同じ親として耐え難いものであったと、ま さにその悲しみを実感せずにはいられません。
そのお子、その人々の寿命、私は仏様から与えられた命、「宿命(しゅくめい)」とあえて申しますが、我々自身、日々、懸命に生きることこそ、一番のご供養ではないかと感じます。
同時に、日本の世相は超高齢化社会の到来のみならず全般に閉塞感に包まれていますが、こんな時だからこそサミュエル・ウルマンの「青春」の一部を紹介させていただきます。(訳、岡田義夫)
「青 春」
青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相をいうのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、安易を振り捨てる冒険心、こういう様相を青春というのだ。
年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
曰く、脅威への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きに似たる事物や思想にむ対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、子供のごとく求めて止まぬ探究心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く、疑惑とともに老ゆる。
人は自信と共に若く、恐怖とともに老ゆる。
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。     -以下略-

どうか、この詩のように常に前を向いて精一杯、人生の「四季」をまっとうしたいものだと念じております。

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