いよいよお彼岸を向かえ、大勢のご門徒さんが当寺の墓所でもお掃除、お花を代えたりと準備をされる姿が見受けられます。
このようにお彼岸には、浄土真宗に限らず、お寺やお墓に多くの方がお参りされます。
この彼岸という言葉は、私たちの生きている世界を「此(こ)の岸」というのに対して、阿弥陀仏の浄土の世界である「彼(か)の岸」を意味します。迷いの此の岸から、悟りの彼の岸に至ることを願う仏事です。
日本でのお彼岸のお参りは、春分秋分は太陽が真東から出て真西に沈むので、その日没の所を、彼岸の阿弥陀如来の西方浄土と思慕するところに起源があるといわれています。
私たちの浄土真宗でのお墓の意味は、先祖の霊を鎮めるためでもなく、祟りの及ばぬようにするためでもなく、「亡きご先祖を諸仏と仰いで、報恩感謝するた めのものです。」ですから、お墓の正面には「南無阿弥陀仏」と刻まれています。折々にお墓の前に立って亡き人を偲ぶことで、“いのち”がご先祖から連綿と つながっている“いのち”であることを感じられるのではないでしょうか。
お彼岸の頃に、浄土真宗の寺院では永代経法要がお勤めされます。
この永代経は、「永代法義相続経」を略したもので、永代法要には二つの意味があります。一つは施主(せしゅ)の心情です。亡き人を偲んで「供養」したいと いう願いです。「供養」とは、仏様の説法を聴聞すること(読経=お経を聴くこと)によって、生きているものと亡くなったものが出遇うことです。
二つ目の意味は、亡き人が身をもって示してくださった生老病死の身を生きているという“いのちの事実”に立ち返されることです。亡くなった方によって、自分の生き様を問いかえさせて下さる仏様だったと拝めることです。
浄土真宗において、お彼岸にお寺やお墓にお参りすることは、先祖供養をすることではありません。亡き人を縁として、「真実の教えに出遇い」、その教えを相続していくことです。
福田寺では3月30日(火)に春期永代経が勤まります。是非、お参りください。