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荒山修師の法話

掲載日: 記事No.20

本年も福田寺の報恩講で皆さんにお会いできるのは、楽しみなことでございます。
さて、この間の新聞に市橋容疑者が逮捕されたと載っていました。警察から逃れようと整形手術を受け、だいぶ、顔のイメージが変わっていました。本人は整形手術で「これで警察に捕まらないぞ」という自信があったのでしょうが、人の思いどおりになりません。
大丈夫と思う心が生じるのは、「常没の凡愚」といって、自分の姿を見失っても分からない状態の人のことです。
この頃のテレビを見ていますと、民主党の鳩山さんがよく映っていますが、ストレスのせいか大きな眼を益々見開いて話しをされています。しかしながら演説の 中に、前政権の自民党に対して一言も「ご苦労掛けました。」なり御礼といたわりの言葉というものが、ありません。自民党が悪い、自民党のせいで日本が悪く なった。と繰り返すばかりです。「念仏の心」のある方でしたら民主党の皆さんは自民党に礼を言うのが本当なのです。
浄土真宗の教えに、「無上道」があります。これは上に上るのは止めておけという教えです。みんなと共に生き、歩き、考えるということです。お釈迦様は、人は平等の価値、平等の可能性があると教えています。
私達は、社会的に地位が上がったりしますと、相手を見縊ったり、場合によりますと、馬鹿にするときもあるでしょう。阿弥陀様は上にのぼった者は哀れな者といいました。
これも自分の姿を見失う己の鏡といえます。
私は、以前日赤に入院しました。そこの病室に「恭則壽」と書かれた額が掛かっていました。これは中国の索引で恭は人を敬い、尊重しろ、会った人すべて区 別するな、則は即の意味で、壽は人の命、体の命では無く、私を統一する命、人間の魂の叫びのことです。入院中この言葉にどれだけ元気づけられたか分かりま せん。
ご老人でお子さん、お嫁さんなりと暮らしていらっしゃる皆さんは、普段喧嘩ばかりしておいででしょうが、家庭が一番の場所と思い、相手を尊重し、相手から 学ぶ姿勢に努めれば、自ずから豊かに成長している証になる訳でして、「恭則壽」とは「南無阿弥陀仏」にほかなりません。
21年11月30日 福田寺報恩講にて

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