先日お寺に一冊の書籍「とどろき(株)チューリップ企画」が届きました。
親鸞聖人の教えがわかる月刊誌と書かれてありましたので中を読ませていただきましたところ目につく記事がありましたのでご紹介させていただきます。
皆さんもよくご存知の一休さんの句にこんな句があります。
「今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも うその世の中」
なんとなく意味はお分かりになりますね。ほめられたからといってその人が善人であるとはかぎらないし、反対に悪く言われたからといって悪人とはかぎりません。その時々で変わるのが人の評価であると一休さんは看破しているのです。
お釈迦様は「仏法は法鏡である」と説かれています。人は誰しも他人によく見られたいという「自分の鏡」を持っています。反対に自分のことはさておき、他人のことは厳しく見ることができる「他人の鏡」というものも持っています。
「仏法の鏡」とは真実の自分を照らす鏡のことです。そして、この鏡の前に座ってしっかりと目を開いて自分を見よと説かれています。
大無量寿経というお経の中には人間というものは「心つねに悪を念じ、口つねに悪を言い、身つねに悪を行じ、かつて一善なし」というものだと書かれています。
仏教は、私たちを心と口と身体の三方面から見るということです。中でも「心」が一番大事なものです。「自分の鏡」や「他人の鏡」が問題にするのは人の口 や身体の行いです。しかしながら、その口や身体は心の命令に従って動くのです。ですから、責任は心にこそあると教えているのです。真実の自己を知るとは、 真実の自己の「心」を知ることに他なりません。「仏法を聞く」とはこの法鏡の前で「しっかりと目を開いて自分を見よ」ということです。
如何でしょうか。私も頭ではわかってはいるのですが、心のほうはどうも「?」です。「仏法を聞く」ご縁はおかげさまで皆様より多くいただいているのです が、中々、「目」を開いてこの法鏡を見ていないとつくづく感じさせられました。昨今、日本の世情は年々、殺伐の様相を呈しています。皆、それぞれが今一度 心の中に「仏様の鏡」をたずさえていただきたいものです。