最近、子供たちのことで印象に残ったことがあります。
去年の四月なんですが、年少の子の中に幼稚園になかなか馴染めなくて、ひと月くらい他の子と遊ばずに、教室の前で体育座りをしている子と、床に突っ伏していた子がいました。
二人とも「お母さん、お母さん」ってずっと泣いているので、私が体育座りをしている子の傍に座って「お母さんってどんな人なの?」って聞いたら、「とっても優しくて、きょうはこんなご飯をつくってくれた」って教えてくれましてね。「いいお母さんだね」って5分くらい一緒に話をしていたら、その子は急にパッと泣き止んで、仁王立ちのように立ち上がったんです。何をするのかと思ったら、「さぁ、行くよ」と、いままで何も関わっていなかったもう1人の手を引いてサ-ッと遊びに行ってしまったんです。
幼稚園になかなか馴染めない子っていうのは、必ずしも弱いとか臆病(おくびょう)とかいうのではないんです。疑問がすごく強くて、この新しい環境はいったい何なんだろう、なぜ自分はいまここにいるんだろうという疑問を消化しきれずに泣いたりするんです。
その子はそれが消化できた時に、もう1人の子の手を引いて一緒に遊びに行くという、私には想像もできない解決案を編み出してくれて、すごく感動したんです。
子供というのは偉大ですね。
すごい力を持っていると思います。何をするんでも真剣に生きていますしね。
大人も真剣に生きてはいるんでしょうけど、過ぎ去ったことを悔やんだり、先のことを心配したりで、なかなか「今」、「ここ」には生きられない。「真剣」というより「深刻」という言葉のほうが近いと思うんです。しかし、子供は「深刻」ではなく「真剣」で、いつも楽しく、屈託なく遊んでいる。真剣と深刻というのが、子供と大人の世界を分ける言葉のように思います。
円融寺幼稚園(阿園長先生)での子供達の会話の様子を紹介しました。