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日本語に宿る仏の心

掲載日: 記事No.66

皆さんは「いただきます」という言葉を子どもにどう説明しますか?

一般的には食事を作って下さった方々への感謝だと答える方が多いと思います。もちろん、この感謝の気持ちも含まれますが、実は真意はもっと深いものです。

本来「いただきます」の前には「いのちを」という言葉が隠されています。つまり、私たちは、動物、野菜、空気中の細菌やウイルスを含め、様々な他の「いのち」を「奪い」ながら生きているということです。これを「生かされている」といいます。

その意味では、まず「いただきます」と口にして思うべきことは、「申し訳ない」という他の「いのち」への懺悔ざんげです。

 

「いただきます」に漢字をあてると「頂きます」になります。「頂き」は頂上を意味し、本来ならば大切な他の「いのち」は尊敬の念を持って高い所から授かるものですが、実際の食事の時、料理となって目の前に並ぶ様々な「いのち」は、私たちの頭の位置より低い所にあります。だからこそ「いただきます」と言うときは、合掌しながら頭を下げ、他の「いのち」に対して懺悔ざんげと尊敬の念をこめた感謝を伝えるのです。

この「いただきます」という言葉が生まれた背景には、日本人の「凡夫(ぼんぶ)」としての自覚があると考えられています。仏教用語の一つで、犯している自分の罪に気がつかず、平然と生活する私たちの姿をいいます。

そんな私たちであっても、「せめて意識できる罪」には懺悔ざんげし、感謝の気持ちを持って生活しようという精神の現れとして、「いただきます」という言葉が生まれたのだと思うのです。

 

しかし、残念ながらでは「せめて意識できる罪」の認識の具合が低下しているように思えます。世界一の食品ロスを現実を考えると、「食べれることが当たり前」、そして「いただきます」という言葉の意味が表面的にしか語られなくなっているのではないでしょうか。

私たち大人は言葉だけではなく、その言葉の真意や精神を丁寧に伝えていくことが子どもの教育に必要なものではないでしょうか。

 

*今回はないおん誌に掲載されました大來尚順氏の文章に私の意見を加え皆様にお知らせさせていただきます。

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