この言葉は親鸞聖人が著わされた『正信偈』の一文です。
「煩悩の林に遊びて、神通を現ず」、「煩悩の林」とは私たちの住む婆婆世界のことです。私たちは憂い、悲しみ、苦しみ、喜びという様々な煩悩(ぼんのう)の中で生きています。そして、その煩悩に流され、自分を見失ってしまっていることに中々気がつくことができません。
ところで、この「遊ぶ」という語の意味は、一般には何もしないでふらふらして楽しく快楽を求めることではありません。この場合、仏教用語では「遊ぶ」を余裕=「ゆとり」と置き換えて使います。
たとえば、衣類の合わせ目などに用いるボタンは、布地とボタンの間に余裕「遊び」がないと、ボタンを布の穴に入れることができないからです。私たちの住 む「ものづくり愛知県」の自動車をはじめ様々な精密機械も「遊び」を計算したうえでの正確無比な製品に仕上げていると聞きます。
さて、私たち人間は、悩み出すとどんどん深みにはまり、心の余裕を失い、一点しか見えなくなります。車もスピードを上げすぎると視界が狭くなるように。悩 み焦って心の視野が狭くなったら、仏様は「こんなときこそ、ゆっくりやろう」と心を「ゆるませなさい」と教えて下さいます。
後半の「神通」とは、煩悩に迷う私たちを救うために、仏様が浄土からお出でになり「あなたを決して一人にはさせませんよ」と助けて下さるということです。どうぞ、心に少しの「遊び」をお持ち下さい。
遊煩悩林現神通(ゆうぼんのう りんげんじんづう) -「遊び」という余裕が大切です-
掲載日: 記事No.39