私たちは日々、様々な悩みを抱えながら生きています。大人には大人の、子どもには子どもの悩みがあります。
以前、ある雑誌を読んでおりました時、とても印象的な特集が掲載されていました。それが「親にはわからない『小学生の悩み事』ランキング10」というものでした。ランキングを見ていきますと、一番多かった悩み事が「なぜ勉強しなくてはいけないのか」というものでした。多くの小学生が抱えているストレートな質問です。
次に多かったのが「友達ができない」というものでした。これも多くの子どもが抱えている切実な悩み事でしょう。30歳まで若年者の死亡原因の1位が自殺という事実に関係する「ぞっとする」回答です。そして3番目はこの事に起因するのでしょうか「死んだあと、どうなるのか」という問いだったのです。
皆さんは「死んだらどうなると思いますか」と聞かれたらどのように答えられますか。「無になる。いなくなってしまう。」という答えが多い様ですね。では、皆さんのお母さん、お父さんが死んだら、という質問をすると「近くにいてくれる。見ていてくれると思う。」と変化していきます。
先日、福田寺の関連施設、木田幼稚園でこんな出来事がありました。その日は宗祖命日で「命」と「死」についてお子様にお話しをしました。ある5才の女のお子様がちょうどお迎えに来たお母さんに「ねえ、ママ、ママが死んだらどうなるの?」と問いかけると、間髪を入れずにそのお母さん、「大丈夫、いつもいっしょよ。ちゃんと見ているから!」と答えられました。
そうですね、私たちの「命」は先祖からいただいたもので、このお母さんの答えの様に、ともにある「命」だと思います。ですから折々に法事やお勤めをして感謝するとともに「いただいた命をしっかりと生き切る」と自覚する必要があるのではないでしょうか。
阿弥陀様という仏様は、大きな不安を抱えた私の「命」を、「仏法をよろこぶ者に育て、仏のみ名を称える者に育て上げて、必ず浄土へ生まれさせる」と願ってくださいました。
そしてその願いは「南無阿弥陀仏(われにまかせよ)」という働きとなって、今ここに届けられています。
今年もお盆の季節がまいりました。「南無阿弥陀仏」のお念仏とともに今一度、先祖からいただいた「この私の命」に感謝し、盆法要を勤めていただきたく思います。