新年を迎えると、昨年と大きく変わったわけではないけれど、何となく、嬉しくなるものです。
さて、お正月にテレビを見ていると、必ず、多くの人たちがお寺や神社に初詣をしているニュースが流れます。何のために初詣に行くかというと、ほとんどの人は、お願い事をするためでしょう。もちろん、単なるイベント感覚で行く人もいるようです。
今回は、龍谷大学非常勤講師、小池秀章のお話しを紹介させていただきます。
浄土真宗のお寺では、修正会(しゅうしょうえ)とよばれる元旦の法要が行われます。しかし、そこにお参りに来る人たちは、お願い事はしません。仏さまのみ教えを聞き、自分自身を見つめる為に来ているのです。仮に、仏(阿弥陀)さまにお願い事をしたとしても、かなえてもらえないのです。
では、お願い事がある時は、どうしたらいいのでしょう。例えば、浄土真宗では、合格祈願はしません。しかし、受験で不安な時は、「なむあみだぶつ」とお念仏したらいいのです。
お念仏したら、合格する人は合格するし、落ちる人は落ちます。けれど、合格しても落ちても、ともに「私の大切な人生だと受け止めていく力」が、与えられるのです。
昔流行したCMに、
「シワ(皺)とシワを合わせて、「幸せ」、南無」(合掌)。というものがありました。それをある方が「確かに合掌はシワとシワを合わせているけれど、これは、関節で、節(フシ)じゃないか」といって・・。
「フシ(節)とフシを合わせて、「不幸せ」、南無」(合掌)。と茶化しました。
しかし、それを聞いていた、ある浄土真宗のお坊さんが、
「シワとシワを合わせて、「幸せ」。フシとフシを合わせて、「不幸せ」、「幸せも、不幸せも、両方あって、一個の人生。なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」(合掌)と、おっしゃったのです。ここでいう「幸せ」とは、本当の「幸せ」ではなく、「自分の思い通りになる人生」ということでしょう。そして、「不幸せ」とは、「自分の思い通りにならない人生」ということでしょう。しかし、人生はその両方があって一つの人生なのです。
思い通りになる人生も、思い通りにならない人生も、ともに、私の大切な人生だと受け止めていくのが、私たちの「なむあみだぶつの心」なのです。このお話しの様に「仏さまは、願いをかなえてくれないが、願いを解決してくれる」 私たちは、このように教えをいただいています。